2 women to cry


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by womenscrossing
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【映像】STRAWBERRY SWITCHBLADE interview 1985 日本語字幕


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by womenscrossing | 2012-01-28 23:52 | メモ

南青山五丁目午前十時――真利子と麻美のふたり話し【4】

【第4回】(2011/02/27)

真:ねえ、最近さ、なんか反抗してる?
麻:なによ、いきなり。
真:だって、私たち、「おとなの言うこときかない少女ふたり組み」だったじゃない。
麻:いつの話よ(笑)。
真:なによ、笑うことないじゃない。そりゃあ、もう20年近く前のお話しですけど。
麻:もちろん覚えてるわよ。あなた私にしつこく言ってたものね。「日本のストロベリー・スウィッチブレイドになろうって」(笑)。
真:そうよ。そうですわよ。あなたが拒否し続けたんじゃない、それ。
麻:そりゃ、わたくし、趣向がちがいましたからね、あなたとは。
真:そうそう。あなたはKLFひと筋でしたものね。さすが、クリエイターになるおかたのセンスはちがうわよね。
麻:私だって好きだったわよ、ストロベリー・スウィッチブレイド。でも、あなたとふたりであれ目指すのはちょっとなんだか……、そのまま過ぎるって思ってさ。
真:何度もやったわよね、このやりとり。結局私が根負けしてなんにもならなかったわけだけど。
麻:あなた、まだそのこと根にもってるの?
真:いや、そうじゃないけどさ。でもやるんならあなたとしかない、ってあの当時は強く思ってたの。
麻:それはありがとう。光栄だわ。
真:やってたら何か変わってたかな? 私とあなた。
麻:さあ。「青春のいちページ」以上のものになったかどうかは、はなはだ疑問ね。
真:私はさ、いまから思えば「青春のいちページ」でもよかったよ。でもあのときは、これで自分を変えるんだ、そして世の中変えるんだ、くらいに思ってたからね。だから、あなたに断られ続けて、「じゃあもうだめだ、なにもかも」ってなっちゃった。ゼロか100しかなかったの。
麻:若い頃だものね。まあ、甘えといえば甘えだけど。
真:わかってるわよ、もちろん。甘えよ。
麻:責めてるわけじゃないのよ。
真:それもわかってる。
麻:でもね、何もできなかったって思ってるいまのほうが、当時の私たちより、ずっと「反抗する少女」に近いのかもしれないよ、実は。
真:なんとなくわかるのよ、それ。でも、言葉に出してしまうと、言い訳になってしまいそうでね。特に私はさ、主婦なわけでさ。
麻:そういう次元のことじゃないこと、わかってるでしょう?
真:うん……。
麻:いいのよ、それで。それ以上考えないの。
真:わかった。私は、これで、オッケー。
麻:そう。それがいまのあなた。そしていまの私。そこからよ、すべては。
真:またこの話、していい?
麻:いいわよ。どんどんしましょう。これからの私たちのためにね。▲
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by womenscrossing | 2012-01-28 23:49 | [連載]南青山五丁目午前十時

南青山五丁目午前十時――真利子と麻美のふたり話し【3】

【第3回】(2011/02/01)

真:ねえちょっと、このディスプレイ、すてきじゃない?
麻:どれどれ……。うん、たしかにね。まあ、かなりクオリティは高いわね。
真:やっぱり専門家はきびしいなー(笑)。
麻:そういう意味で言ってるんじゃないのよ。どう言ったらいいのかな。この街を歩いていたら、それなりにクオリティの高い、すてきなセンスの、最新のモードのものはいくらだって目に入るじゃない。でも、いや、「だから」というべきなのかな、もうなんだかそういうものに価値を見い出す意味がわからなくなってきたのよ。みんな、一歩でも早く、一歩でも先に、山の頂上に近づこうと切磋琢磨してるでしょ。それはそれで立派な競争なんだろうとは思うわ。でもね、やっぱり、それは結局、ある特定の山の中で一歩二歩を競い合ってるにすぎない。隣にまた別の山があることや、山の頂上のさらに上にはどんな世界があるのかなんてことは、そこで競い合ってる人たちにはきっと意識されてないんだろうなーって思うの。いったんそう気づいてしまうと、一見華々しいその世界が、急に色あせて見えてしまうのよ。
真:隣の山とか、頂上の上とかっていうのは、必死になって登っている人よりも、平地の地面に立って見ている人のほうがよく見えるのかもね。
麻:そういうことね。たとえば、東京スカイツリーがこの先何メートル伸びようと、どんな機能や装飾がつこうと、私にとってはどうでもいいのよ。スカイツリーの足元に、どんな道や水路があって、どんな生活があるのか、その質感のほうが気になるわ。
真:うふふ、もちろんわかるけどさ、でもやっぱりあなたのその趣向、「贅沢」なんじゃなあい?
麻:ふう、やられたわね。なんとでも言ってよ(笑)。▲
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by womenscrossing | 2012-01-28 23:49 | [連載]南青山五丁目午前十時

南青山五丁目午前十時――真利子と麻美のふたり話し【2】

【第2回】(2011/01/30)

麻:あら、あんなところにあんなビル、あったかしら。
真:なに言ってるの、いまごろ。あなた、やっぱり仕事に生きる女ね。街の変化なんて、全然気がつかないんだから。
麻:興味のないものには気づかない、だけよ。
真:じゃああなた、この街のどこに興味があるの?
麻:難しいわね。私だって、昔からこの街に住み続けてきた住人ではないから、古き良き街の姿を懐かしむ、なんてことはできないわ。そうね、私に見えている街っていうのは、やっぱり私がこうあってほしい姿なのよ。新しくて軽薄な、余計なものはほしくない。でも私には理解できない古い風情の名残りも、いまいち存在の意味を感知できない。そういうことが反映されてるんじゃないかしら。
真:クリエイターらしいご意見ね。
麻:ありきたりな皮肉はやめてよ。むしろそういう面では、あなたのほうが感傷家さんでしょ。
真:たしかにそんな面はあったわ。いまでもあると思う。生まれた場所への執着とか憧憬ってやつね。でもねえ、この街については別。いったんこういう街のルールや流れに身体が慣れてしまうと、もう自然となんの感情もわかなくなるのよ。風景が変わった、それだけのこと。気づくけれど気づくだけ。そこに意味なんて見い出せないわ。
麻:そういう感覚って、ある意味贅沢なものかもしれないわ。逆にニュータウンに移り住んだ人なんか、最初はどうかしらないけど、年月が経つとなんでもない無機的な光景に愛着がわくことがあるんじゃないかしら。
真:うーん、贅沢、か。そんな贅沢も、やっぱりありがたいことなのかな。わからないわ(笑)。▲
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by womenscrossing | 2012-01-28 23:48 | [連載]南青山五丁目午前十時

南青山五丁目午前十時――真利子と麻美のふたり話し【1】

【第1回】(2011/01/28)

真:ねえ、さいきんどんな感じ?
麻:なによ、それ。そんな久しぶりでもないのに。一週間前もこの店で会ったばかりじゃない。
真:いや、だけどさ、ほら、私なんて特になにもないからさ。
麻:子なしの専業主婦なんてそんなもんだから、っていうんでしょ、また。
真:前も言ったっけ。いっつも言ってるか、それ。
麻:私だってそんなにおもしろい話なんてないわよ、別に。仕事だって、ひとりでやってるんだし。あなたのほうが、まだダンナさんといっしょにいるんだから、なにかあるでしょ。
真:ないない(笑)。微妙に仲がいい夫婦ってね、なんにもないのよ。恋心もケンカもないなんて、つまんないよー。
麻:別にいいじゃない、それでいいって思ってるんだから。
真:あなただって、いくらでも付き合おうと思えばそうなれる人、いっぱいいるのに、あえてそうしてないのは、それでいいって思ってるんでしょ。
麻:まあね、めんどくさいから。
真:わかるー。私もそうすりゃよかったかな。それであなたみたいにさ、ひとりでクリエイティブな仕事するの、小さくてもいいからひとりで住む部屋借りて。
麻:私が言うのもイヤミっぽいかもしれないけど、そんな簡単じゃないわよ。
真:そうよね。私だって、ダンナが家賃払ってくれてるから好きにできてるだけだからねー。才能ったってねー、趣味のイラストくらいじゃね。あ、まただー。私さ、この店でカフェオレ飲むときさ、砂糖の入れ具合がいっつも困るんだよねー。ほら、ここ角砂糖じゃない。スティックだと何分目までって、入れるとき調節できるんだけどさ、角砂糖って入れるときどうしようもないじゃん。で、あー、全部溶けちゃったら甘すぎるのにーって、入れてから思っても、どんどん溶けていってどうしようもなくて、結局全部溶けちゃったやつを飲むの。いっつもね。またやっちゃった。
麻:いいじゃない、別にそれくらい。気にするほどのことじゃないでしょ。
真:気にするほどのことじゃないから気にしちゃうんじゃないー。
麻:そんなもんか。そんなもんね。▲
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by womenscrossing | 2012-01-28 23:48 | [連載]南青山五丁目午前十時

浪花千栄子さんが19歳で初めて京都に出てきたときのこと

◆浪花千栄子『水のように』(六芸書房/1965)p.59より
 そうだ、京都へ行こう。
 そこには、自分を待っている何かがあるかもしれない、ある意味ではわくわくするような未知の世界への期待もあって、行く先は京都と、きめました。
 どんな重い石や土に、上から押さえつけられていても、雑草は、自分だけの力で、それをよけたり、はねかえしたりして、時がくればちゃんと自分の花を開く、――そうや、私も雑草やった、だれも見てくれへんかてかめへん、私は、私ひとりの、自分だけの力で、私の花を開かすのや、それでいいんや――
 知った人ひとりいない、どんなところなのか行ったこともない、京都という、今まで全く自分とはなんのかかわりあいもない都会を、わが行く先と定めたら、私は急に、自分がもう完全におとななのだ、ということを自覚いたしました。
 冬のことでした。
 大阪の阿倍野橋で電車を降りて、べっちんのむらさき色のたびと、赤い鼻緒のげたを買ったことをおぼえています。

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by womenscrossing | 2012-01-28 10:47 | メモ

林美雄さんが語るロマンポルノ

◆林美雄:『パックインミュージック』最終回(1980年9月30日)より
 このあいだ『五木寛之の夜』という(番組の)公開録音があったんです。そのときに、三上寛さんがゲストで、TBSホールの中で、五木寛之・三上寛の対談があって、三上寛さんが五木寛之さんに手紙をしたためて送ったと。で、“そのときいつでしたか?”と言ったら、“ええ、映画のロケに入っていて、ロケ先から手紙を出しました”。“日活ロマンポルノ、でした”。と、言った瞬間に、場内のほとんどの若い女の子が、ケラケラケラケラって、笑い出したんですよ。そんときに僕はとっても寂しくなりましてね。“あ、この子たちは日活ロマンポルノを観てないな”と。観ていたらこんな、笑いは巻き起こらないだろうと。その知らないがゆえのあどけなさっていうのは許せるけれども、知らないがゆえのこわさ、あるいは三上寛がその笑いをどういうふうに受け止めたか、と。その映画というのが、今年の映画の中でもベストテンに入るんじゃないかっていう、『濡れた海峡』という映画なわけです。寂しさを抱え込んだ人間同士が出会っていて、三上寛と、そして石橋蓮司がものすごいぶつかりあいをする、これは、ドラマなんですね。『寂しさの乾杯』っていうのがありました。これ一回聴きましたね。寂しい者同士が、寂しい、寂しい、寂しい、って。これは本当に寂しさを、背負い込んだ、抱え込んだ人間同士が初めてわかる映画なんでしょうけれども。たとえば僕は、レッテルでものを見ちゃいけないということを、日活ロマンポルノで教わったわけです。ひとりひとりが、こう生きていくものを、オブラートに包まないでこう迫っていった、というのを、日活ロマンポルノから教わって。ですから、この10年間の放送の中で、わりと日活ロマンポルノの話をしてきました。だから、ああ、あの若い子たちが、日活ロマンポルノみたいなのを観てたら、きっと、男を見る目も変わってくるし、そしてその観ることはけっして悪いことではないんじゃないか、という気になってましてね。
【出典】http://www.youtube.com/watch?v=SwJdt_EHWOY
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by womenscrossing | 2012-01-26 23:09 | メモ

1985年、女解放のイメージとは。

■滝川マリ「1985年秋、リブ・第二期の出発――リブ総括私的私論①」(『新地平』131:46-51)p.51
 夢をもとう! 今の私ならこんな言葉も素直に言える。この〔1985年までの〕10年間は長かったが、私たちリブの充電の期間だったと、うれしくいえる。
 女解放のイメージは、発想は、夢は、楽天的に、突飛に、まか不思議に、とびかうべし。
 具体的な権力闘争では、シビアに、リアルに、じっくりと、現実を見るべし。
 今まで、私とあなたが出会わなかったのは、お祭り騒ぎが大きすぎたせいだ。それも終ったことだし、私の女解放をひっさげて、さあ飛び出そうとしている女たちが、実は待ちかまえているのだ。見えない? それは、あなたのアンテナが、低いか、方向がまちがっているか、のどっちかよ。

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by womenscrossing | 2012-01-26 23:07 | メモ

水としての女

■浪花千栄子『水のように』(六芸書房/1965)p.6
 私が、いまさら申すまでもなく、水というものは、人間はもちろんのこと、すべての生き物に欠くことのできないたいせつなものでございます。生き物の、生きてゆく上にたいせつな、この水にも、いろいろの状態によって位があるように思われますが、はじめとおわりは、一つのものから出て、一つのものに帰ってしまいます。
 位、と申しますのは、飲料になる水道の水、観賞用の噴水をはじめ、滝や川や池の水、自然や作物や建物を破壊し押し流してしまう洪水の水、汚物や悪臭のため顔をそむける下水の水というように、たとえば、ということですが、もっとおそろしいことは、生き物の生命を育てるそばから、その生き物の生命を奪ってしまいます。
 私の半生は、人に、かえり見もされないどぶ川の泥水でございました。
 自分から求めたわけではありませんが、私という水の運命は、物心つく前から不幸な方向をたどらされておりました。
 しかし私は、子供のときから、泥水の中にでも、美しいはすの花が咲くことを信じていましたし、赤い灯青い灯、と、たくさんの人に歌われ、大阪の代名詞のように有名な道頓堀の川底が、どんなにきたないかもよく知っていましたから、不幸などぶ川の泥水の運命に、従順でした。

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by womenscrossing | 2012-01-26 23:06 | メモ

女の〈ココロ〉と〈カラダ〉――「オンナ性」の把握について

◆國澤静子「女体的 寒冷 <欝>①」(2011/12/19)より
・ スペース・誤字は原文ママ。
・ 下線は引用者による。
 リプロダクトヘルス??なる箱のなかにカタカナ英語でこの産む性の事象を形容する単語がつめこまれこの語彙群を使い縷縷述べている論文にたどりつくと ココロを除外した身体現象が解説されている。好んでこの分野を覗いたのではなく「内閣府」になにやら女関連施策のパブリツクコメントを書きこもうとして気がついたのだ。
 出産を「ライフイベント」と位置づけていたのだ。イベントと記述されていたのを読み取る私は衝撃以上に不快と絶望のるつぼにいて<欝>つまり生体の代謝が不活性化してしまつたのだ。
 リブのころの可塑性をひめていた オンナ性の総合把握 と歴史的なそれへの抑圧装置の告発や解体の方向が壊滅していることを肌でかんじ、嵐山派*(いわゆるフェミ)に無批判に追随していくオンナ性の病的な知性歪曲をみてしまつた。
 [……]
 <ココロ>を鍛えて自前でこの未踏の位置づけを自前でしよう!。いまだ下層においやられている 普通の女たちが自分のコトバで紡ぐ時だと思う。
 その足元己のオンナ性まるごとの肯定的認識からはじょまる。あえてそう言うのは フェミ自認貧困自認の40代30代が 女のカラダの機能を部分肯定し他は「無視」あるいは箱の格納見ないふりをしているからだ。
*引用者注:埼玉県比企郡嵐山町にある〈国立女性教育会館〉を指している。
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by womenscrossing | 2012-01-26 23:02 | メモ